松山城主上田氏

戦国時代(天文(1532~1555)の頃)、松山城主上田氏は病気に苦しみ、この寺の霊像に祈願すれば平癒するというお告げによって平癒し、大檀那となった。当山の沢を越えた奥の一角には、松山城主上田氏の墓地がある。県内でも珍しい宝塔の形をし、松山城上田氏最後の城主上田憲定によって造立された。中央の石塔は、上田能登守朝直(案独斎宗調)、右手の石塔は、二代松山城城主上田能登守長則、左手の石塔は上田蓮好とされている。

なお、墓地のあるところは、急な階段を上がったところにあるので、ご参拝の際はお気をつけください。