釈迦誕生仏立像(県指定文化財)
鎌倉末期から室町初期にかけての頃の制作とみられ、檜材、寄木造で、玉眼、彩色の像である。お釈迦様が誕生した際の「天上天下唯我独尊」と唱えた姿である。
木造日蓮聖人像(村指定文化財)
祖師堂の本尊であり檜材寄木造で玉眼、胡粉地に彩色を施している。室町時代後期の造立とされ、胎内には蒔絵小箱に入った日蓮聖人のご真骨の骨炭と妙法蓮華経一巻が納入されているのは貴重であり、熱烈な信仰を籠めて造立されたとされる。
また、厄除けの祖師としても古くから信仰され、御祈願が行われている。
一年に一回、11月2日の御会式で御開帳される。
絹本着色鬼形鬼子母神画像(村指定文化財)
総髪、忿怒相をして白衣に身を包み合掌する鬼子母神様を描いたものである。製作は天文~永禄年間の頃に政策されたものとされる。本図を書写したのは日勤とされる。
上田朝直書状(村指定文化財)
淨蓮寺が堀之内道場のことについて、たびたび申し出ていたことに、今後も指置を申し渡された書状とされる。
上杉朝興書状(村指定文化財)
上田氏が扇谷上杉氏配下の時代、上杉朝興から淨蓮寺へ宛てられた寺中諸公事を赦免する旨の書状である。
上田朝直書状(村指定文化財)
上田宗調(朝直)が淨蓮寺へ寄進を約束した10貫文の残り3貫文を送ると記される。宛所である大泉律師は淨蓮寺の日如上人であり、上田氏の一族で出家された人であるという。
上田朝直判物(村指定文化財)
上田宗調(朝直)が淨蓮寺に大河原の地及び比企郡平村の内山王免を永代寄進する旨が記載されている。
北条氏康禁制(村指定文化財)
北条氏康の松山城攻略後における治安維持のために出された制札であるとうかがえる。この古文書によって、上田朝直が大河原谷西ノ入筋を知行したことが知れる。
七基連立板石塔婆(県指定文化財)
文禄4年(1595)に、淨蓮寺第13世住職日栄上人七七日忌供養のために造立された。1枚の緑泥片岩の割石に7本の塔婆を刻して、「七基連立板石塔婆」として全国唯一の板石塔婆と言われている。
銅 鐘(県指定文化財)
正慶2年(1333)上州板倉の円光寺鐘として鋳造され、その後文明11年(1479)に武州比企郡の鎌形八幡神社に移され、二年後に淨蓮寺に移されたという。この銅鐘は、戦利品として持ちまわされたといわれる。
木造 大河原神治太郎光興坐像(村指定文化財)
天正8年(1580)3月19日に、淨蓮寺11代住職日雄上人の時に造立された。檜材による寄木造であり、玉眼を施している。大河原神治太郎光興は当山の開基であり、鎌倉地方の仏師の作と考えられる。
鰐 口(村指定文化財)
天文8年(1539)に長沼弾正中弼成勝が太平山に奉納したとされる。永禄9年(1566)、天正13年(1585)に川越、松山の北条氏配下の兵が攻略し参戦した松山城主上田上野介が戦利品として森帰り、淨蓮寺へ奉納したと考えられる。真ん中の下には弾痕が残されている。
銅鐘(足立家鋳物師関係品)
(村指定文化財)
足立弥兵衛道堅により天保2年(1831)4月に奉納された。足立家は代々弥兵衛を名乗る鋳物師の家柄で、甲州都留郡の足立家鋳物師の流れを伝える。
為浄覚菩提板石塔婆
(村指定文化財)
この板石塔婆は天正16年(1588)正月14日に没した上田氏一門・上田右京亮(浄覚)の菩提を弔うため、天正17年(1589)11月29日に造立された。この写真で見ずらいが、中央にお題目を刻し、下のほうには、「為浄覚菩提」と刻されている。
文禄4年の板石塔婆
(村指定文化財)
文禄4年(1595)正月29日に没した松山城主上田憲定の内室、法名妙上の墓石として建てられた塔婆である。
慶長8年過去帳(県指定文化財)
淨蓮寺第15世日真上人によって、慶長8年(1603)8月に作成された過去帳である。松山城主上田氏一族、家臣の法名が多数記録され、上旬、中旬、下旬の3冊に作られる。